美少年回転寿司録

消費しなければ生きてはいけない

『推しの死』に対する準備

あなたは『推しが死んだ』という経験をしたことがありますか?

私は覚えていません。いやダウト。ある……あったな……。
という曖昧な認識なのも、『リアルタイム』で推しが死んだ経験が少ないんですよね。物語が完結していたり、リメイクされた作品だったり。
あと、死の概念に一種の好意を抱いているのも理由の一つですね。死と死の概念は厳密には違いがあり、割愛しますが、死んでなくても『死んでいる』ことは往々にしてあるんですよ。※私の中では!
こんなことをずっと考えてるから、生死の境界が曖昧になっている……とはいえ、死は死じゃん!!!!!!
話を戻します。
(今回の話は概念的な死の話じゃないです)
現状として、私はあまりにも『新鮮な死』に不慣れすぎるんですよね。 このままじゃショックで心臓が止まるかもしれん。それはまずい。まずい……のか?まずいことにしておきましょう。

そもそも、なぜ推しの死について考え始めたのか。

先日、とある作品を読んだからです。読んで、ハマって、推しができたから。
推しができたからって推しの死についてそんなホイホイ考えんやろ~!?って感じなんですけど、それにもちゃんと理由がありましてね!
その作品は某週刊誌で連載されているんですが、単行本だけでは飽きたらず本誌まで読んでしまい『最新』の世界線にたどり着いてしまいました。
本誌まで読んで所謂『推し』が確定したのですが、う~~~~んどうやら展開的に死ぬかもしれん!!!!!おたくの赤本におる傾向と対策で何となくそうと思ったわけです。
死んでほしくない気持ちと本誌まで行ったおかげで(ネタバレなしの)新鮮な推しの死を浴びれる気持ちと最高の死に方をしてほしい気持ちでぐちゃぐちゃになりました。いや今もなってます。私の身にあまる感情だ!!!!嫌だ!!!!解放されたい!!!!!

なので!!!!!『推しの死』にそなえて準備をしよう!!!!つまり気持ちを整理するために書きます!!!

気持ちその①:推しに死んでほしくない

死ぬ=動的活躍の機会が減る
戦闘が多い作品であればあるほど、それだけアクションシーンの可能性がある。アクションシーンは最高にカッコイイ見せ場。私は推しのカッコイイ姿が死ぬほど好きなので動かない推しが見れなくなるのはつれえ~~~!!!!!
とはいえ、死んでも誰かの心に生き続けるので存在が消えるわけではない。あしからず。
あと推しと絡んでほしいキャラクターがいるので……絶賛不仲というか推しがその男のこと嫌ってるんですけど、一生嫌いなくせに同僚として背中合わせて戦ってるところ見たいじゃないですか~!!!!!
不仲・相互不理解が大好きなおたくより

気持ちその②:推しの新鮮な死を浴びることができる

死にも鮮度があります。最新の世界線で死ぬ瞬間。これが死において最も新鮮な瞬間だと思っています。
もちろん、己が死を観測した瞬間もそれなりにたいぶ新鮮だと思うんですよ。でもですね~~これはね~~例えばですね!?もう完結してる作品をハマったとき、世界の誰かはその死を知っている可能性があるじゃないですか!!!?
死へのネタバレを踏んだらもうそれは新鮮じゃないんですよ!!!!!
世の中にはネタバレOKな人類とネタバレ絶対嫌マンがいると思うんですが、わたしは『死』に関するネタバレはあんまり踏みたくない人間なんですよ……。
なんでかって? ひとが死ぬ瞬間は一生に一度しか見れない魂の煌めきだからですよ~~
キャラクターが死ぬ瞬間の言葉、表情、遺したもの・影響が強めにキマってわたしに美しい魂を見せつけるんですよ……これはね……最前線じゃないとキマらないんだ……誰かにばらされたくないんだ……
だからわたしは常に最近の世界にいたいんだなあ すしを

気持ちその③:推しに最高な死に方をしてほしい

死の存在は作品に大きな影響を与えます
推しが世界に爪痕を残すのは最高なんだよ 以上

結論、書き出したって気持ちがまとまることはなかった 解散


令和元年九月十四日 美少年回転寿司