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「魂の輝きなくして、生命は終わりを迎えぬ」

灰の雪が降り積もる街に屹立する工場があった。飾られるための人形を造る/創る工場が。そんな工場の一角に人の子や人ならざる者が、『人形』として展示されているとか。

魔鏡

備忘録
記憶違い有り

4月某日、大阪・梅田。梅田芸術劇場
ミュージカル『刀剣乱舞』~三百年の子守唄~ 観劇。
今回で二回目の観劇となる。
kzttol.hatenablog.com
一回目の観劇感想はこちら。
これには記載されていないことや二回目の観劇で感じたことを書いていこうと思う。
(思い出したら書き足していく追記式の予定)

オペラグラスという名の推しカメラ

今回は東京公演会場のAiiAと違い、1階~3階席まである会場だった。
私は3階席からの観劇だったので、「今回は引きで観るぞ。全景観るぞ~」と思っていた。
そう、思っていたのだ。思ってたんだよー!
それでも念のため……と思い、オペラグラスを持って行った。
四年ぶりくらいに舞台にオペラグラスを持っていくな~と呑気に鞄に詰め込んでいた。
引きで観たかったら大人しくオペラグラスを持って行くな。これは教訓である。
オペラグラスは視力が悪くてもド近く観れる魔鏡だ!すげえ!忘れてた!メッチャ観えて緊張した!

目は口ほどに物を言うが、総てを語るわけではない。

倶利伽羅は多くを語らない。
故に言葉の意味を汲み取る時に気を付けないと誤った解釈で物語を進めてしまう。
問題なのは、誤った解釈でも物語を読めてしまうことである。偏に彼が自己発信をしないからに尽きる。
俺一人で十分だ、とはよく言ったものだと思う。
そうは言っても大倶利伽羅は目線や表情で結構語ってるんだよなあ、と思っていた。二回目の観劇までは。
最初は、表情あんまり激しく変化しないんだなという印象だった。
前回でも述べたが、大倶利伽羅に対しては基本的に静のイメージを持っているので、特に違和感を覚えなかった。
しかし、進めば進むほどあれ、と思うようになって、決定的だったのは吾兵との接触だった。
まずは初対面。兵士たちの中に混ざる農民の吾兵。彼らに農民は引っ込んでいろと馬鹿にされ、頭に来た吾兵は彼らを煽り、挙句の果てに殴られそうになるのだが、そこに大倶利伽羅が通りかかるというシーン。
初対面の大倶利伽羅に「アニキ!」と言って、背中に縋りつく吾兵。
私は勝手なイメージでここの大倶利伽羅は凄く嫌そうな顔をしていると思っていたのだが、実際表情は別段変わりなかった。
ちらりと吾兵と周りを見つめるだけで。嘘~!?と思わず叫びたくなった。
次に桶狭間の戦い。前記初対面がこの桶狭間の戦いの直前になるのだが、このシーンはその戦いの最中、吾兵が追い詰められるシーンである。
吾兵の窮地に駆けつけ、どいていろ、と一言。表情に焦りもなく、かと言って面倒そうな表情をしているわけでもなく、ひたすらに目の前の敵を斬ることに集中している、そんな顔。(勿論、吾兵のことは気に掛けていたが表情に大きな揺れはなかった)
そして、桶狭間の戦い姉川の戦いの間。大倶利伽羅榊原康政を襲名して、家康の息子・信康が赤子から少年へと成長した。吾兵と信康に剣術の稽古を付けるようになったシーンである。
ここらへんになってくると、表情も少しずつ感情に乗って動いてくる。
剣術を教えてくれと吾兵にせがまれ、いい加減にしろと言い放つ大倶利伽羅。息を大きく含んだその言葉は決して強い言い方ではなく、ため息に近いもので、表情もあのなぁ、と言った風な少し悩まし気なものだった。
結局何だかんだで二人に剣術を教えることになった榊原こと大倶利伽羅
ここでやっと表情が分かりやすく動く。
そして、吾兵の死。ここも見逃せない。
戦いの痛みとは違う、苦しそうな表情。心が暴れているのかもしれない。
以上、大倶利伽羅の表情編だ。
思ったより表情が動いていなかったことにびっくりしたが、恐らく懐に入れる(彼で言う『慣れ合う』に近いニュアンス※厳密には違う)と他者に対して表情の動きを見せるのだなあと思った。
だからこそ、一部終盤の小さく綻んだあの表情は、慣れ合いではないまた別のものだと私は思っている。
表情があまり変わらないが、恐らく感情は、心は動いていると思う。
戦うのにこの心というものは厄介~みたいなことを言っているくらいだし。
倶利伽羅の感情や心の動きが現れているのが体の動きなのかもしれない。
何となくだが、感情が動いていそうな場面で体が小さくぴくりと反応している気がしたのだ。

『刀剣乱舞』

「戦道ひとり往く 漆黒の竜」「俺は戦い抜く 刀として生き 死ぬために」

前に立つということ

慣れ合うつもりはない、という言葉と戦闘中に戦闘継続困難な味方の前に立つ姿勢。
赤子を抱く青江の肩を押して敵から遠ざけたり、戦う術すら知らない吾平から敵の攻撃を防いだり、検非違使を前に負傷し倒れ込んできた村正と敵の間に入り敵を見据えたり……。
彼が口にする『慣れ合う/慣れ合わない』という言葉には彼なりの意味があるのだと、さらに実感する立ち振舞いだ。
ただ闇雲に周りを拒絶しているわけではないのだ。

ミュージカル『刀剣乱舞』のキャスティング

前作、幕末天狼傳でも思ったのだが挑戦的なキャスティングが輝く。
前作では、芯がしっかりとしている和泉守兼定にキャストの中でも比較的経験の浅い俳優さんをキャスティングし、相棒ポジションの堀川国広を若手俳優の中でも実力者の役者にキャスティングして、成長を期待する。
その意図は実を結んだわけだが、舞台という装置を使った演劇で演者の成長を期待する度胸と勝負と鬼畜っぷりに思わず恐ろしく思ってしまった。
それは今作でもそうで、物吉貞宗という心の動きが分かりやすく激しい刀剣男士を2.5次元舞台の経験がない若手俳優に任せるという勝負、期待値の見積もり。
物吉役の俳優さんのコメントを各所で見ると、何度もプレッシャーに押しつぶされそうになっているのが伺えた。
そんな彼を支えるキャスト、カンパニー、そして彼自身。
一人では絶対に起こらない化学反応が演劇にはあると思う。
ミュージカル『刀剣乱舞』はキャストの化学反応を常に求めているのだなあとしみじみ感じる。

赤と青

二部の話。大倶利伽羅と青江のデュエットについて。
前回も述べたのだが、私にとっては予想外の組み合わせ。
青江は石切丸、大倶利伽羅は物吉と来るとなんとな~く思っていたので。
今回は知っていたため、びっくりすることなくよく観て聴くことができた(と思う)。
もしかしたらこの曲、お互いのこと歌ってるように魅せた曲なのかもしれないな~と感じた二回目のライブ。
青江Aメロ「火傷してるHeartをCool down」「安っぽいヒーローは僕の代名詞だった」
倶利伽羅Aメロ「青い言葉」「期待通りにいかないことばかりじゃBreak down」「こんな結末を用意したのは僕なのか、繰り返しはいらない」
それぞれ断片的に覚えている二振りのAメロなのだが、それぞれが歌っている時の照明が、互いのカラーだった記憶がある。
(青江なら赤、大倶利伽羅なら青)
そしてサビの「ネームレスファイター」
倶利伽羅と青江の共通点と言えば、磨り上げ。大磨上無銘。
無銘、ネームレス、刀剣男士。
無作為に意味を見出すことは簡単だけれど、きちんと考えていきたい。

ミュージカル『刀剣乱舞』~三百年の子守唄~、生での観劇はこれにて見納め。
もっと観たかったなあという想いが強いが、観れて本当によかった。
製作に関わった全ての皆様、誘ってくれた友人たち、本当にありがとうございました。

またいつか、この六振りに会いたいなあ。